正直に生きるということ

今日は朝から学校が慌しい。

その原因は、CHED(高等教育委員会: Commision on Higher Education)のコンサルタントが査察にやってくるため。CHEDとはフィリピンにおける大学研究機関の元締め的存在で、色々な面で影響力を持っている。

午前中の授業は中止になり、朝から生徒全員で大掃除。校庭には塵一つ落ちていることも許さないという勢いで、先生達がビシビシと檄を飛ばす。コンピュータールームでもワックスがけが始まり、私はやむなくカンティーンに非難。どうやら今日は仕事どころではないらしい。

今回の査察では、うちの大学の教育環境(特に設備、施設)をチェックし、問題点があれば指摘するというのが目的らしいのだが、うちの先生達はなんとかして「問題が指摘されないように」努力している感がぬぐえない。もちろん何か問題点が指摘され、学長の顔に泥を塗るような事態になれば、そのしっぺ返しが直接先生たちに返ってくるという恐怖感は理解できなくもない。しかし、ありのままの状況を見てもらい、忠告は素直に受け入れるというほうが、この大学の問題点が明確になっていいような気がする・・・という思想を持っているのはどうやら私だけのようだが。。。

まぁ、これはフィリピンだけでなく日本でも同じことだろう。会社にISO9001(品質管理)の審査が入るときには、普段机の上が汚い社員も小奇麗にさせられるし、後付で設計書や議事録などを頑張って作ったりもする。組織が持つこういった体質は、意外にも万国共通なのかもしれない。しかし、上辺だけをよく見せるという習慣が蓄積すると、先の耐震強度偽装というような形でいずれは問題が表面化してくる。人間の場合も同じで、自分に嘘をついて生きていくのはしんどいし、後で嘘がばれたときに痛い目にあうのも自分自身なのだ。バカ正直に生きるのも大変だけど、嘘で塗り固められた鎧をまとうのよりは、よほどマシだと思われる。

なんか、話しがそれたな。。ま、いいや。

, ,