Corregidor Island

日帰りでコレヒドール島に行ってきた。

blog-photo-20060603.jpgコレヒドール島は、マニラから西に45km、バタアン半島からはわずか6kmのところにある小島。マニラ湾の入り口に位置することから戦略的拠点としての役割が大きく、過去に数々の歴史的事件が起こった舞台でもある。

コレヒドール島は、もともとスペインが外国船の出入国管理を行う関所として利用してたのだが、米西戦争によりフィリピンの統治者がアメリカになったのを機に、1900年代初頭からアメリカ軍によるマニラ湾防衛のための要塞化が始まった。

blog-photo-200606032.jpg第二次世界大戦中は、日本軍によるフィリピン侵攻を防ぐために大きな役割を果たすこととなるが、1942年には日本軍の手に落ちてしまう(ダグラス・マッカーサーとフィリピンのケソン元大統領がオーストラリアに逃れたのもこの頃)。

その後戦況が大きく変わり、アメリカ軍が再びコレヒドール島の奪回に動いたが、日本軍による抵抗が予想以上だったため、両者とも大量の犠牲者を出すこととなる。最終的にはアメリカ軍がコレヒドール島の再占領に成功したものの、その代償はあまりにも大きなものとなった。

今回はマニラ近郊の隊員仲間と一緒に、ランチ付きの日帰りツアーに参加して、コレヒドール島を一通り観光してきた。ツアー内容は、ディズニーランドで走っていそうな簡易バスに乗って、英語のガイドを聞きながら島内をぐるっと回るといったもの。激戦の爪跡がみてとれるアメリカ軍のバラックや砲台、日本軍兵士が集団自決したことで知られるマリンタトンネル、「I shall return」という有名な言葉を残しオーストラリアに逃れたマッカーサーの像、戦後アメリカ政府によって建設された Pacific War Memorial などをみてまわった。

blog-photo-200606031.jpgツアーを終えて一つ気になったのが、砲台やバラックなどの歴史的建造物の保存方法について。建造物のほぼ全てが自然の状態で放置されているため、風化が進んでいるものも多くみられた。中にはアンコールワットのタ・プローム寺院のように木の根に侵食されて崩壊しかけているものもあり、これらの建造物が形を失っていくのも時間の問題だと思われる。

文化遺産土木遺産の保存方法については複雑な問題もいろいろとあり、賛否両論が別れるところだと思う。しかし個人的な願いとしては、自分の子供の世代、そして孫の世代においてもなお、戦争の遺産を自分の目で見て、何かを感じるという場を残していって欲しいと願うばかりだ。

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