雨音

人知れず降り続く雨音が、心地よく時を刻んでいる。

フィリピンに来てからの月日は駸々として過ぎ行き、日本でのそれとは体感的に異なる。しかし、雨音が刻むメトロノームのようなテンポは、フィリピンであろうと日本であろうと同じだ。

時としてスピードと音量を最大限にまで振り絞って、バチが折れんばかりに小太鼓をはじくような雨音もあれば、小箱に入れたビーズを床に零してしまったときのような静かな雨音もある。

雨音が想像させる情景と、それを聞いている時の自分の心情とは、必ずしもシンクロできるものではないのだが、私はおおよそ無理をして、雨音に自分の調子を合わせる傾向にある。

今まさに、天地を切り裂くような雷とともに、大粒の雨がトタン屋根を激しく打ち鳴らしている。解決しなければならない喫緊の問題などありはしないのに、未だに逡巡している自分が間違っているかのような錯覚に陥ってしまう。

人間の生命や未来の行方などは、所詮地球の胎動の一部に過ぎないとするならば、雨音に急かされて行動を起こすことも理にかなっているかもしれない。しかし、私は私の宇宙を持っていて、その他一切の森羅万象とは交わることはあれ、決定的に違う存在でありたいと願うからこそ、雨音とぴったり息を合わせることが出来ないのだ。

雨季が近づいてきた。