俘虜記

俘虜記
大岡 昇平
新潮社 1967-08
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著者、大岡昇平は、昭和19年にフィリピンのミンドロ島に暗号手として臨時召集されている。本作品は、彼が病兵として部隊行動から外れた結果俘虜となり、約1年の収容所生活を経て復員するまでの精密な記録である。

特に冒頭での、「なぜ米兵を撃たなかったのか」という命題に対しての、緻密かつ正直な自己分析の結果は一読に値する。彼が生死の瀬戸際にあって葛藤を続け、最終的に「撃たなかった」という結果に至るまでのプロセスには、一筋縄では説明が出来ない「生命」に対する真摯な姿勢を映し出している。その思考の経緯は、以下の一文からも読み取れる。

日本の資本家が彼らの企業の危機を侵略によって開こうとし、冒険的な日本陸軍がそれに和した結果、私は三八式小銃と手榴弾一個を持って比島へ来た。ルーズベルトが世界のデモクラシイを武力によって維持しようと決意した結果、あの無邪気な若者が自動小銃を下げて私の前に現れた。こうして我々の間には個人的に何等殺し合う理由がないにも拘らず、我々は殺しあわねばならぬ。それが国是であるからであるが、しかしこの国是は必ずしも我々が選んだものではない。
生死の瀬戸際に立たされて、刹那にしてこれほどの分析をなし得たという事実には、ただただ驚くばかりである。

また本作品の中盤では、収容所内での俘虜たちの愚行や心情変化を、「阿諛」の文化をベースにして追っている。著者自らも、あとがきの中で「俘虜収容所の事実を藉りて、占領下の日本を諷刺する」ことが目的だったと述べているように、当時の日本社会が抱えていた諸問題を、俘虜収容所という縮図の中で見事に描き出している。

そして終盤、すなわち終戦後の記述にいたっては、絶望と希望の狭間で堕落していく俘虜たちの一種の陶酔状態を、自らの愚行とも重ね合わせながら回想している。

本作品は、所謂「戦争小説」とは内容を異にする。そこには、状況こそ大きく違えど、ヴィクトール・E・フランクルが「夜と霧」の中で用いた、深遠にして哲学的な洞察力に通じるものがあり、私の脳裏に深く切り込みを残すものである。