余る支援物資

新潟中越地震 あふれかえる救援物資、仕分け追い付かず [毎日新聞]

新潟県中越地震被災者向けに県災害対策本部に寄せられた救援物資の在庫が余り始めている。地震直後から今月10日までに全国から10トントラック約130台分の物資が届いた。さらに、12日までに50台分が追加される見通しという。一方、仕分けの人手不足などから、各市町村の避難所などに配送されたのは約45台分にとどまっている。担当者は「すべて被災者の手に届けられるかどうか」と困惑している。

何ともむず痒い違和感を覚えるニュースだ。

日々インターネットやTVから、新潟中越地震についての様々なニュースが入ってくる。新潟で大変な被害に遭われた方々に対しては、一日も早く平常を取り戻して頂きたいと願うばかりなのだが、このニュースに関しては、ちょっと違った感覚を覚えた。

この天災は、日本で起こった悲劇であるが故に、多くの日本人が同胞としての支援活動(救援物資の輸送やボランティア活動)に積極的に参加している。この事自体は否定されるものでもなんでもなく、同じ日本人として当然の動きだと思う。

しかしそんな中で、新潟と同じような状況、もしくはより悲惨な状態にある国々が、世界には沢山あるということを忘れてしまってはいないだろうか?その日に食べる食料も満足に得られないアフリカの国々。多くの犠牲者が出ているにも関わらず、適切な治療を受けることが出来ない人々で溢れているイラク。雨露もろくに凌げない道端で、毎夜を明かすストリートチルドレン。数え上げればきりがないほど、「一刻を争う」支援を切望している国々が、世界には存在する。

もし新潟中越地震が起きてなかったと仮定して、今新潟に全国から集まっている支援物資を、上述の世界の国々に送ることが出来たら、どれだけの命が救えるだろうかと考えてしまう。命の重さに、国籍は関係ない。新潟の人々も、アフリカの人々も、イラクの人々もストリートチルドレンも、みんな同じ人間で、みんな同じだけの生きる価値を持った存在だ。今、日本人が新潟の人々の為にしている誇り高き行動を、日常的に世界に向けることは出来ないのだろうか?新潟の人々を心配するのと同じように、世界で貧困・飢餓に苦しむ人々のことを、もうちょっと気にかけることは出来ないのだろうか?

こんな事に気付けたのも、今自分が海外にいるからなのだろう。今日本に住んでいる方々が、これを読んで、ちょっとだけでも視点を世界に向けてくれるようになればと願ってやまない。