インターネットの使い方

新潟地震・立ち上がるネットユーザー [ITmedia]

「今アメリカにいます。震源地近くの家族の情報を知りたい」──23日夕に起きた新潟県中越地震で、ネット上の掲示板には家族の安否情報を求める書き込みや、被災地情報などが次々に寄せられた。情報提供は公的機関や大手インフラ系企業にとどまらず、ネットユーザー個人による草の根的な動きも目立っている。

フィリピンに住んでいる私の元にも、新潟で起こった震災のニュースはすぐに入ってきた。今回の地震ばかりでなく、数多くの台風やそれに伴う二次災害で、多くの方々が命を落とされているというニュースを見るたびに心が痛くなる。今日、同僚の隊員と半分本気で「俺等協力隊員って、今この瞬間はフィリピンで活動するより、新潟で人道支援活動をしたほうがいいんじゃないの?」という話になった。

フィリピンでの活動は、長期的な目でみた場合、もちろん重要な活動なのだが、一日や二日程度こちらでの活動を行わなくても「生命に対する差し迫った危機」はない。(これは医療隊員には当てはまらないかもしれないが、少なくとも自分のようなコンピュータ隊員には当てはまる)。しかし、天災による被害などは、一分一秒を争うというレベルで、誰か一人が手を差し伸べていれば・・・という状況は多々あるに違いない。こんなとき、自分の無力さを感じる。

しかし、昨今のコンピュータ技術、そしてインターネット技術の発展が、これまでの地に足の着いた人道支援活動とは違うアプローチでの、災害支援形態を生み出し始めている。上述の記事にもあるように、NTTドコモiモード災害用掲示板や、情報通信研究機構による、「生存者情報データベース」など、インターネットを用いて、被災者に対するスムーズな安否確認の手段を提供している。これらのチャネルは、直接的に、生命の保護・救済に貢献できるものではないが、被災者とその家族のメンタル面でのサポートには、大いに役立つものだと思われる。

もともとは、ARPANETと呼ばれる、アメリカ国防総省の軍事情報ネットワークの構築のために開発された技術が、今こうして形を変え、人道復興支援のために利用されているようになったとう事実は、インターネットが、諸刃の剣であることを意味している。例えば、掲示板一つとっても、小学生を殺人者にまでならしめる、誹謗中傷の書き込みもあれば、生きる意味を見失った人に対して、再び命を吹き込んでくれる書き込みもある。つまりは、使い方と使う人間の倫理観の問題なのだ。

自分の協力活動においても、ただ技術の向上だけを目的にするのではなく、その利用方法についての啓蒙活動のほうが重要なのでは?と感じる今日この頃である。